2016年9月5日月曜日

第95回「飼い主の特典」

今年の7月23日に、全米各地で一斉に「Clear the Shelters!(シェルターを一掃しよう!)」というキャンペーンが行われ、家を失くしたペットに新しい家族を見つける運動が行われました。有力メディアの協力もあって、イベントは大成功。合計4万5000匹以上のペットに新しい家族が見つかったそうです。読者のみなさんの中にも、この夏に犬の飼い主になった人もいるのでは? 犬と暮らすと、良いことが一杯あります。今回は、私が日頃からつくづく感じている「犬の飼い主の特典」についてのお話です。

様々な発見と収穫

犬と暮らし始めると、決まったリズムに安堵を覚える犬の習性に合わせるため生活が規則正しくなります。犬と散歩することで運動量も増えます。散歩は、運動量を増やしてくれるという利点だけでなく、自然の変化から、散歩道の家やお店、建物などの移り変わりまで、今までは気にも留めなかったような様々な発見もあり、日常に新たな刺激を運んでくれます。また、犬を連れていると、色んな人から話しかけられるようになり、さらには、「犬好き」という共通点があれば、人種も、年齢も、性別も、言葉をも超えて、多くの人々と親しくなり、犬談義が弾みます。

生きる糧

犬は、飼い主に「なんとかなるさ! 大丈夫。」と思わせてくれる魔法を持っています。何か大変な問題があっても、どんなに心身が疲れていても、何も知らない愛犬の無邪気で健気な姿を見れば全てが吹き飛ばされます。そんな愛おしい愛犬を死ぬまで大事にしようという気持ちがどんどん湧き、人生に張りができ、生きる糧が生まれてきます。愛犬を守るために、一生懸命仕事をしよう。自分自身も怪我や病気をしないよう、健康に十分注意しようという責任感が生まれます。実家の父がいい例です。年老いてからパピーと暮らし始めた頃は、「この子を看取るのは無理だろう…」とそんな寂しい言葉をよく発していました。しかし、責任感の強い父は愛情一杯でパピーを育てました。そのパピーは去年16歳で大往生するまで年老いた父と母に生き甲斐を与えてくれたのでした。

犬に育てられる自分

愛犬家から「うちの犬が人間の言葉を話してくれたらどんなに嬉しいか…」と言う願いをよく耳にします。そう思うところもありますが、実は私は犬との会話が人間の言葉に頼らないところがとても好きです。犬は「犬語」で、人間は「人語」でそれぞれ自己表現するのですが、相手のことに精通していれば「共通語」を話さなくてもしっかり意志の疎通が出来ます。ただ、そこに至るためには、飼い主は、犬という動物を熟知し、愛犬から終始発せられるメッセージをきちんと理解し、お互いを分かり合わなければいけません。忍耐なくては成就できない業、これは子育てスキルと全く同じです。そして、この犬の親業の過程で得るものは、人生の色んな側面で大いに役立つわけです。
人間に生活を100%依存する犬を育てる時、自分自身が本当に大きく成長します。犬を育てながら、自分が犬に育てられる。それは、犬の飼い主の真の特典だと信じます。
次回は、「タイミングは命」と題し、犬とのコミュニケーションにおいてのタイミングの重要性のお話です。お楽しみに!

足並み揃え、愛犬と一生に成長する

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てらぐちまほ在米28年。かつては人間の専門家を目指し文化人類学を専攻。2001年からキャリアを変え、子供の頃からの夢であった「犬の専門家」に転身。地元のアニマル・シェルターでアダプション・カウンセリングやトレーニングに関わると共に、個人ではDoggie Project(www.doggieproject.com)というビジネスを設立。犬のトレーニングや問題行動解決サービスを提供している。現在はニューヨークからLAに拠点を移し活躍中。ご意見・ご感想は:info@doggieproject.com

2016年8月5日金曜日

第94回「容姿の落とし穴」

「犬のどんなところが好きですか?」という質問に、「飼い主がどんなに不格好でも、全く見かけで判断しないところ」と答える人が多くいます。確かに犬は、容姿どころか、社会的な地位も、学歴も、財産の有無も全く関係なく、大切に育ててくれる飼い主には手放しで愛情を注ぎます。反対に人間は、犬の気質より容姿重視な人の方が多いのではないでしょうか。今回は、見た目に囚われやすい人間と、見た目は関係ない犬との間のギャップについての話です。

好みの顔

 以前非常に驚いた話を聞きました。超好みな顔の犬の写真をネットで見つけ、その顔の犬が欲しくてたまらなくなり、その犬種の中でも「その顔」を扱うブリーダーが外国にいるのを発見。自ら飛行機で現地に出向き犬を購入してきた人がいた、と。ぬいぐるみのような愛くるしいその特別な顔の犬という「容姿」が大事で、飼うと決めたわけですから、その犬の気質がどうであってもさほど関係なかったのでしょう。
 可愛い・かっこいい容姿を持つ犬への人気は今に始まったことではありませんが、最近巷では変顔や変な体形の犬が流行り、それが異質であればあるほど好まれ、大金をはたいて買い求める人がいます。「これはお金になる!」と、奇形犬の改良に勤しむブリーダーもたくさんいます。言うまでもなく、人間が不自然に作り出した奇形犬は、心身に色々な問題を併発し、一生病気と闘ったり、早死にしたりすることも珍しくありません。

好みの判断材料

 犬同士が相手を判断する際、「ぬいぐるみのようで可愛いから」とか、「リボンが似合う」とか、「ハンサム!」「かっこいい~」などの見かけを材料にしません。犬は相手のエネルギーや、社会性の有無などで合う、合わない、好き嫌いを決めます。その判断基準は人間に対しても同じで、人間の持つエネルギーや、飼い主として犬のリーダーになれる素質を持っているか、また自分を理解してくれるかなどを重要視し、好き嫌いを決めます。人間の体のサイズや性別、人種を読む犬も、美貌や高級な服装は全く関係ありません。
 小さいぬいぐるみのような犬を「か弱く、おもちゃみたい」と思うのは人間だけで、もしその犬の気質が大変激しく攻撃的であれば、犬同士では迷惑がられる存在になり、またリーダーの素質があるなら、大型犬も引っ張って行きます。しかし、人間は小さい愛玩犬に対しては、どうしてもその容姿から赤ちゃん視してしまい、問題行動を起こしていても「あらあら、どうちたの?」と赤ちゃんをなだめるように、大目に見て甘やかしがちになります。すると犬は、人間は無条件で特権をくれると誤解します。かわいい~と言っても犬自身は人間がなぜ喜んでちやほやするのか理解できず、優越感で一杯になり、手に負えない犬に育ってしまうこともあります。また、容姿重視で犬を選択すると、犬との暮らしが全く予想していなかった展開になることも少なくないので要注意。
 もちろん見かけも大事ですが、見かけばかりにこだわり、内面の美しさを見逃すのは悲しいことです。これは人間関係でも言えることですね。飼い主が犬の容姿をこえて、その犬の本質を理解し愛する時、飼い主と犬の間に「本当の関係」が成立するのです。容姿で犬の良し悪しを判断したり、流行りを作ったりするのではなく、容姿以外の犬の良さがわかる人間が増えてほしいと願うばかりです。
 次回は、「犬の飼い主の特典」と題し、犬と暮らすことで得るものについてのお話です。お楽しみに!

見た目で「可愛い~」と思うのは人間だけ

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てらぐちまほ在米27年。かつては人間の専門家を目指し文化人類学を専攻。2001年からキャリアを変え、子供の頃からの夢であった「犬の専門家」に転身。地元のアニマル・シェルターでアダプション・カウンセリングやトレーニングに関わると共に、個人ではDoggie Project(www.doggieproject.com)というビジネスを設立。犬のトレーニングや問題行動解決サービスを提供している。現在はニューヨークからLAに拠点を移し活躍中。ご意見・ご感想は:info@doggieproject.com

2016年7月5日火曜日

第93回「噛む犬・噛ませる人間」

私は今まで犬に噛まれたことがありません。愛犬とだけの生活ならそんな人は珍しくないと思います。しかし、私の場合、仕事柄携わってきた犬の数は数千頭か、それ以上。それでも噛まれた経験がないのは、犬に噛ませないようにしてきたからです。今回は、噛む犬と、その裏にいる噛ませる人間についてのお話です。

「やめてください!」

 愛犬ジュリエットがまだ元気だった頃の話です。友達家族とBBQをした時、いつもジュリエットを可愛がってくれる男の子が、その夜は執拗にジュリエットを追い回し、べたべた体を触っていました。疲れていたジュリエットは必死で避けながら、私に一生懸命目配りをして助けを求めていました。しかし、大人たちは話に夢中。ついつい放っていたその時、ジュリエットが男の子の頬を鼻で突きました。びっくりした男の子は大泣き。ジュリエットはしっぽを丸め震えていました。幸い、鼻で突く程度だったので男の子が傷付くことはなかったのですが、がぶっと噛んでいたら一大事でした。ジュリエットは私に思い切り叱られましたが、ここで一番悪かったのは飼い主の私です。ジュリエットが必死でSOSを出していたのに仲介しなかったために、彼女は自分で何とかしようと、鼻で突く動作で表現したのです。私は自分の罪を深く反省し、二度と愛犬が「やめてください!」という気持ちを、噛むなどの行動に出させないようにしなければ、と心に誓いました。
 犬は不快を感じる時、色んな形で意思表示をします。しかし、それらを見逃してしまうと、犬は噛むという行動に出ることもあります。人を噛んでしまうと、「噛まれた人間」と「噛んだ犬」という二つの被害者を作り出してしまいます。なぜなら、人を噛んだ犬は「悪い犬」というレッテルを貼られてしまい、最悪のケースは殺処分に至ることもあるからです。

犬を知る・犬を読む

 シェルターで勤務していた時は、噛まれても不思議ではないほど精神的にぎりぎり状態の犬を毎日扱っていました。そんな犬達に噛まれないためには、まず、彼らの「やめてください!」という理由と表現を理解する必要がありました。そして、こちらには敵意もないが、犬のことを恐いとも思ってないことを示し、どうしたら彼らから信頼を得て、安心を与えられるかということだけを考えました。助けたいという気持ちを誠心誠意で伝え、噛ませないようにしました。
 犬は理由なく人を噛みません。その理由の多くは、恐怖やストレスや欲求不満からくるものです。触られるのが嫌い、または人間が苦手なのに、上から手を出し、頭を撫でられた犬は恐怖でストレスを感じます。スペースをくれとサインを送っても人間が無視すれば、犬はどうしていいか困惑します。庭で一日中繋がれたままや、家から外に出たことがない犬は欲求不満で一杯です。そして、それらのストレス発散法を「噛む」という形に移すことも多いのです。犬が人を噛まないためには、犬がフラストレーションを溜めたり、恐怖感やひどいストレスを感じたりするような機会を作らないことです。犬は人間に説明も弁護もできません。正当防衛で人を噛んでも、「噛む=悪い犬」になります。犬と平和に共存するには、人間が、犬の習性や本能をしっかり学ぶ。犬をもっとリスペクトする。それが、犬と人間の快適な暮らしへのカギなのです。
 次回は、「容姿の落とし穴」と題し、見た目に囚われやすい人間と、見た目は関係ない犬との間のギャップについての話です。お楽しみに!

事故のないよう、大人が責任を持って子供と犬を監督する

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てらぐちまほ在米27年。かつては人間の専門家を目指し文化人類学を専攻。2001年からキャリアを変え、子供の頃からの夢であった「犬の専門家」に転身。地元のアニマル・シェルターでアダプション・カウンセリングやトレーニングに関わると共に、個人ではDoggie Project(www.doggieproject.com)というビジネスを設立。犬のトレーニングや問題行動解決サービスを提供している。現在はニューヨークからLAに拠点を移し活躍中。ご意見・ご感想は:info@doggieproject.com

2016年6月4日土曜日

第92回 『BSL(特定犬種規制法)』

幸い、私は生まれてこの方、自分自身のことで極度の差別を受けた経験がありません。しかし、16年前にピットブルのジュリエットを飼い始め、間接的とは言え、初めて犬種差別による苦悩を痛切に体験することになりました。それは、今日に至っても同種のノアとの暮らしで続いています。今回は、特定の犬種への理不尽な差別と、それらの犬種を規制するために存在する法律についてお話しします。

「撃ち殺すぞ!」

 愛犬ノアがパピーだった頃の話です。道で小さい女の子がノアを触りたそうにしたので、ノアは喜んで遊ぼうとしました。すると女の子の手を握っていたお父さんが「一歩でも近づいたら警察を呼ぶぞ!」と真っ赤になって私に怒鳴りました。その後も、その男の人はものすごく汚い罵声を放ち、女の子の手をぐいっと引っ張って去って行きました。
 最近も同じようなことがありました。芝生を臭い嗅ぎしていたノアと私の方に家族が歩いてきました。すれ違う時、男の人が「そんな危険な犬を近づけるな」と言いました。私には彼が言う「危険な犬」がノアとは思えなかったので、そのまま歩くと、男の人はものすごい声で「お前の犬を撃ち殺してやるぞ!」と言いました。私は恐怖で震えノアを連れて大急ぎでその場を立ち去りました。
 この16年間、同じようなことを何度も体験しています。「犬としての性質」でなく、ピットブルという犬種の作られたイメージだけで偏見視され、酷い扱いを受け、非常に悔しい思いをしてきました。 

犬のホロコースト

 アメリカをはじめ世界にはBSL(特定犬種規制法)というものが存在します。一部の行政区が、危険とみなした特定の犬種の飼育の規制や禁止をする法律です。飼育禁止犬種というだけで、危険な行為を一度も見せたことのない罪もない犬が、飼い主の元から引き離され、殺処分というケースは山ほどあります。ここでも以前紹介したアイルランドの「レノックス」は、禁止犬種に見えるだけで殺されました(*BSLの詳しい情報は下記から)。
 さて、ここでの問題は、特定の犬種を一括りにして「全部危険」とみなせるかです。私は今までに仕事で数千頭以上の犬を扱ってきましたが、確かに危険な犬に出会いました。BSLに含まれる犬種もいました。しかし、巷でファミリーペットと言われる犬種もたくさんいました。愛犬ノアは、危険な犬ではありません。彼を危険とみなすなら、世の中のほとんどの犬が危険な犬の部類に入ります。しかし、ノアは犬種としては世界中のほぼすべてのBSLで危険犬種と指定された犬種です。
 危険な犬の裏には必ず人間がいます。そしてその人間が「危険」を作ります。責任を持って育てられない人間、犬をあえて危険に訓練する人間。犬が危険に生まれるのではなく、人間が危険な犬を作り出すのです。行政は、一括りにして規制するのは簡単でしょう。しかし、その裏で大切な愛犬を取り上げられ、悲痛な思いをしている家族、罪もないのに規制犬種ということで無残に殺処分される犬、世間から差別され苦しむ飼い主がいることを忘れないでほしいのです。世の中を良くするための規制なら正しい規制を作るべきです。
 この特定犬種への差別と規制法に怒り、悲しむ私ですが、幸いなのは皮肉にも当の犬たちがまったく知らないという点です。彼らが「犬種ということだけで差別する人間の醜い部分」を知らないということだけが本当に救いかもしれません。
 次回は、「噛む犬・噛ませる人間」の話です。お楽しみに!
「僕は危険ですか?」
Photo © Maho Teraguchi

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てらぐちまほ在米27年。かつては人間の専門家を目指し文化人類学を専攻。2001年からキャリアを変え、子供の頃からの夢であった「犬の専門家」に転身。地元のアニマル・シェルターでアダプション・カウンセリングやトレーニングに関わると共に、個人ではDoggie Project(www.doggieproject.com)というビジネスを設立。犬のトレーニングや問題行動解決サービスを提供している。現在はニューヨークからLAに拠点を移し活躍中。ご意見・ご感想は:info@doggieproject.com

2016年5月2日月曜日

第91回『The Champions』

3月に素晴らしい映画のイベントに行く機会がありました。『The Champions』というドキュメンタリー映画です。2007年に全米を震え上がらせたNFLスタープレイヤー、マイケル・ヴィックの闘犬賭博事件で保護された犬たちが、どんな運命を辿ることになったのか。ドキュメンタリー映画作りのベテラン監督が、「Vick Dogs」と呼ばれる、それらの犬たちのその後と、彼らを取り巻く人間たちの奮励と尽力を見事に綴っています。


最悪な事件がもたらした光

 2007年4月、NFLのスター選手、ヴィックの豪邸に警察の手入れが入り、闘犬賭博ビジネスが発覚。ヴィックは捕まり、現場からは70匹以上の犬と、拷問で殺された犬たちの残骸も見つかりました。事件発覚後、生き延びて救出された犬たちの運命に焦点が集まりました。と言うのも、それまで闘犬現場から保護された犬は、議論の余地なく全部殺処分されていたからです。しかし、世間の大注目を浴びたこの事件が、その後の闘犬飼育場出身の犬たちの運命を変えるきっかけとなりました。
 事件後当初は、動物愛護活動団体の大御所のHumane Society of United StatesやPETA*も、保護されたすべての犬を「全米一危険な犬」と非難し、全犬の殺処分を提案していました。しかし、世間からの関心があまりにも強かったことを受け、事件を担当していた裁判官は、動物法専門の教授に保護された犬たちの徹底的な分析と判断を依頼したのです。

セカンド・チャンス

 保護された、ほぼすべての犬は、世間の推測を見事に裏切るかのように、アグレッシブで危険とは正反対の気質でした。人間に対してポジティブな経験をしたことがなく、社会性もまったく身につけていないため、ほとんどの犬たちが異常に敏感に怯え、地べたにへばりつく、隅に隠れるという行動を見せました。しかし、攻撃的になることはなく、人間のなすがまま。そうして生き延びるしかなかったのでしょう。
 この映画では救出された数十匹の犬の中から5匹の犬達に焦点があてられ、保護されてからの数年間の彼らの運命と新生活が紹介されています。今では立派にセラピー・ドッグとして活躍し、社会に貢献している犬もいます。誰が予想できたことでしょう。あんな極悪卑劣な状況下を経験させられても、チャンスが与えられれば本質を発揮し生まれ変われる。映画は、それらの犬の、生きる力と健気な生き様に共感を覚え、愛、忠誠、希望で、闘犬救出活動の歴史を変えたこの事件一連を一緒にくぐり抜けた人間たちが見つける「人間と動物のあるべく形」をも巧みに描き、心に響きます。

永遠のテーマ

 人間は己のあらゆる欲望のために、他類の動物を無情に傷つけることをします。しかし、またその反対に、自分を捨ててまで献身的に動物を助け、動物のために闘うのも人間。地球を我物顔で牛耳っている人間が、「動物と人間が本来あるべき形」を認識し、進んでいくことを切に願う機会をくれた映画でした。全米各地でのスクリーニングに加え、ネットでダウンロードして鑑賞も可能。詳しくは、http://www.championsdocumentary.comまで。
 次回は、「BSL (Breed Specific Legislation – 特定犬種への法制 」と題し、存続する差別的な法律とそのインパクトについてお話しします。お楽しみに!
*PETA (People for the Ethical Treatment of Animals)

               ひとりでも多くの人に、この映画のメッセージが届いてほしい
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てらぐちまほ在米27年。かつては人間の専門家を目指し文化人類学を専攻。2001年からキャリアを変え、子供の頃からの夢であった「犬の専門家」に転身。地元のアニマル・シェルターでアダプション・カウンセリングやトレーニングに関わると共に、個人ではDoggie Project(www.doggieproject.com)というビジネスを設立。犬のトレーニングや問題行動解決サービスを提供している。現在はニューヨークからLAに拠点を移し活躍中。ご意見・ご感想は:info@doggieproject.com

2016年4月1日金曜日

第90回「暮らしやすい犬」

世の中にパーフェクトな人間などいないというのは私の持論ですが、パーフェクトな犬はいると思います。しかし、いくら親ばかな私でも、我が愛犬ノアをパーフェクトな犬とは思っていませんが、ノアは大変「暮らしやすい犬」で、彼を一言で表現する時にその言葉が一番に浮かびます。今回は、愛犬ノアが一番誇れる「暮らしやすさ」についてのお話です。

番犬にならない…

 ニューヨークにいた時も、LAに越して来てからも、よくご近所さんに「ノア家にいるの?」と聞かれます。ノアがいつも静かなので不思議なようです。基本的に、私は愛犬を家の中で走り回らせたり、遊んで暴れたりさせません。体の運動は外、家は静かにくつろぐ場、または頭の体操だけの場としています。家に遊びに来る人たちが、ノアが家で静かなので面白くないと言うこともありますが、お客さんが来た時だけOKという理屈は犬に通じないし、混乱させるのが嫌で、極力基本ルールは守らせるという考えです。また、愛犬が家の中で収拾がつかないほどやんちゃでは毎日の生活が大変です。愛犬が家でリラックスしていれば、自分の生活も楽になり、相互効果になります。
 ノアが静かなのは、彼が年に1-2度しか吠えないからでもあります。そういう意味では番犬にならないのですが、それよりも、住宅が密集した都会生活をする上で、近所に迷惑をかけることがなく、大変助かっています。
 また、毎日のルーティンを把握しているので、その通りに行動してくれるのも楽です。ノアは留守番が大得意で、後追いして吠えたり泣いたりは一切せず、また留守中に家の中で悪戯もしません。トイレも絶対に外なので、一度も家を汚したことがありません。そのお陰で、一日家を空けている私は安心して外で頑張れるわけです。
 またノアは人を恐れないので、どんな人間に対しても友好的に接することができ、小さい子供でも安心してそばにいさせられるのは大利点です。

社会化・社会性

 上記からもわかるように、「暮らしやすい犬」という条件は「社会性があるか、社会化されているか」に関わってきます。私は、常日頃から「愛犬に一番養わせてほしい要素は社会性」と説いていますが、人間社会の一員であるペット犬は、社会性が有るか無いかで、一緒に暮らしやすいかどうかの差がうんと変わります。シェルターにいた時にも、社会性が有る無いで新しい家が見つかる確率の差がかなりありました。

努力が実を結ぶ

 もちろん「暮らしやすい犬」の陰で、飼い主の努力がないわけではありません。毎日の十分な運動と遊び、さらに頭の刺激を提供し、栄養が行き届いた食事を与え、健康管理を怠らず、良し悪しをきちんと教え、飼い主との上下関係をきちんと築く。また、飼い主の私が常に心身共にバランスの取れた健康状態でいることを心掛けています。愛犬が常に安心感を持てる環境を提供するのは、飼い主の器量です。しかし、これは普通の飼い主が普通にすべきことで、これらを楽しんでできないと、犬との暮らしは窮屈なはず。こういうことを「普通」と思え、楽しめたら「暮らしやすい犬」が育ち、そんな犬との楽しい生活ができるのだと思います。私の場合、ノアのDNAがよかったラッキーな飼い主ですが、愛犬との間で意思疎通がよくでき、以心伝心の関係まで持っていけたら「暮らしやすい犬」との生活に辿り着くのだと思います。
 次回は、『The Champions』というドキュメンタリー映画についてお話します。お楽しみに!
寝るのが仕事
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てらぐちまほ在米27年。かつては人間の専門家を目指し文化人類学を専攻。2001年からキャリアを変え、子供の頃からの夢であった「犬の専門家」に転身。地元のアニマル・シェルターでアダプション・カウンセリングやトレーニングに関わると共に、個人ではDoggie Project(www.doggieproject.com)というビジネスを設立。犬のトレーニングや問題行動解決サービスを提供している。現在はニューヨークからLAに拠点を移し活躍中。ご意見・ご感想は:info@doggieproject.com

2016年3月4日金曜日

第89回「リーシ嫌い」

やっかいな犬の飼い主によく出くわします。自分の犬の糞の後始末をせず、平気な顔でその場を立ち去る飼い主はその一例。前にお話した愛犬の異常吠えを何もせず、放ったらかしにして近所に迷惑をかけている飼い主も一例。しかし、個人的にもっと迷惑でやっかいだと思うのは、散歩時にリーシを使わない飼い主です。今回は、リーシ嫌いな犬ではなく、リーシ嫌いな人間についてお話します。

法律違反


私が今までに住んできた町にはかならず「Leash Laws」がありました。Leash Lawsとは、犬の飼い主に対して、自分の犬を常にコントロールできる状態にすることを義務づけた法律です。具体的には、散歩に出かけたり、公共の場や犬の出入りが認められている私有地に入ったりする場合は、6フィート以内のリーシを用いて、自分の犬の行動を抑制しなければならないという飼い主の責任です。要するに、犬の飼い主に自分の犬も周りも守りなさいというものです。
 
犬好きが陥りがちな悪い癖は、世の中の人間全てが犬好きと思いこんでしまうこと。しかし、世の中には犬が嫌い、怖いと思う人もたくさんいます。また、同類の犬が苦手な犬も多くいるのです。リーシなしの犬に突然近寄ってこられたら、たとえそれがフレンドリーな行為だったとしても、受ける側がパニックになることも多いです。それが少々攻撃的だとしたら、犬同士の場合けんかにつながることも。リーシをしていれば引き離せても、オフの場合は引き離すのが大変困難です。また、オフの犬がジョギングやサイクリングしている人を追いかけている光景を見ることがありますが、追いかけられた方はたまったものではありません。
愛犬を守れるのは飼い主
愛犬は何が何でも自分が守るという信念を持つ私にとって、愛犬をリーシなしで外に出したり、散歩したりする飼い主の気持ちはどうしても理解できません。近所に、玄関の戸を開けて飼い犬2匹をリーシなしで放ち、自分はパジャマ姿のまま戸口で待っている人がいます。犬たちは戸が開いた途端、クモの子を散らすように去って行きます。糞の始末は誰がしているのでしょうか? 誘拐されたり、交通事故にあったりという心配が頭をよぎらないのかと不思議です。知り合いが、リーシなしにしていた愛犬が目の前で車に轢かれ即死したことを「馬鹿な犬」と言っていました。罪の意識を隠す気持ちの表現かもしれませんが、犬が馬鹿だったのでしょうか?
親子が歩く姿
犬と飼い主のリーシ歩行は「人間の親子が手をつないで道を歩いている姿」と同じようなものだと、レッスンの際いつも説明しています。親の手を振りほどいて勝手にどんどん先を歩く子供。駄々をこねて暴れ、半分引きずられるように歩く子供。または、親の手をしっかり握り、時々顔を見上げてはまた前を見て歩く子供。どれが理想の図と思いますか? 犬と飼い主をつなぐリーシは、親子が握る手と手なのです。そして、それは「命綱」でもあるのです。6フィートのリーシで、飼い主は愛犬の安全を確保し、守る。また、あのリーシを使って社会を、自分たちの位置を教え、絆を深めるのです。そんな大切な用具であるリーシをちゃんと使えるようになり、道を歩く姿に誰もが微笑ましい気持ちになる愛犬と飼い主を目指したいものです。
 
次回は、「暮らしやすい犬」と題し、うちの愛犬ノアが一番誇れる部分についての話です。お楽しみに!

親子の散歩姿。愛犬との散歩もこうでありたい

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てらぐちまほ在米27年。かつては人間の専門家を目指し文化人類学を専攻。2001年からキャリアを変え、子供の頃からの夢であった「犬の専門家」に転身。地元のアニマル・シェルターでアダプション・カウンセリングやトレーニングに関わると共に、個人ではDoggie Project(www.doggieproject.com)というビジネスを設立。犬のトレーニングや問題行動解決サービスを提供している。現在はニューヨークからLAに拠点を移し活躍中。ご意見・ご感想は:info@doggieproject.com